同州のアムリタ・ヴィデャラヤム(アンマが設立なさった学校)にいらしたアンマを訪問なさいました。
また、その後行われた一般向けのプログラムでも、州首相はアンマを歓迎する次のようなスピーチをなさいました。
「アンマは約60年前に質素な家庭にお生まれになりました。当時、女の子達が良い教育を受けるのはとても難しいことでした。たった7、8歳の少女だったアンマは、ご自身の言葉と振る舞いと存在によって神々しい仕事をなさっていました ― 悲しんでいる人々を助け、貧しい空腹な人たちに食べ物を与えていました ―アンマご自身が食べるより前に。このような性質は全て、生まれながらにアンマに備わっていたものです。」
「今日、アンマのお言葉を聞き、直接助言を頂いて、とても祝福を感じています。
私たちの生みの母でさえ、これほどまでには愛してくれないものです。アンマの方がはるかに多くのものを与えておられます ― 貧しい人々、悲しんでいる人々に。
アンマがお始めになったことは簡単なことではありません。ですがアンマはこの仕事をなさることをお選びになりました。」
「アンマ、どうか毎年アーメダバードにいらして、私たちに助言を与え、私たちに欠けているすべてのものが満たされるように恩寵を降り注いでくださいますよう、伏してお願い致します。」
またアンマは、現地の女性たちが自分で生活費を稼げるよう、サリーやミシンを無料で提供するなど、様々なことをこのプログラム中になさいました。
アンマがアーメダバードを訪れる度、クッチ地区の人々が400キロもの距離を旅して、
アンマに敬意を示し、アンマの祝福を受けるためにやってきます。2001年に起きたグジャラート地震の後、その地域の3つの村を再建してくれたアンマへの感謝を、彼らはいつまでも忘れることがないのです。アンマのダルシャン(抱擁)は、翌27日の朝8:31分まで続きました。